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いまどきの日本映画の男性像 人のセックスを笑うな ⇒ つぶやきはこちら サイドカーに犬 ⇒ 感想はこちら 天然コケッコー ⇒ 感想はこちら きみにしか聞こえない ⇒ 感想はこちら これらは、ここ4回にわたって感想やつぶやきを書いている日本の映画だ。これらの映画では、女性から見た男性像が描かれているのだが、本当につまらない人間が多かった。唯一例外は、『きみにしか聞こえない』の野崎シンヤだけだが、彼の場合は女性という設定であっても話が成立してしまい、魅力ある人物ではあるが、映画が描く魅力ある男性像というものではない。 他は、キャラクターがはっきりしなかったり頼りなかったりと若干のバリエーションはあるものの、人間的な魅力がなさすぎだ。広い視野で理想や目標を持つということがなく、自分に得がありそうな人間に対してだけ愛想が良く、女はそれを『やさしさ』と勘違いする。 平凡なエピソードの中で女に都合よく登場したり退場したり、自分勝手な女の言動に対して女に都合よく怒ったり許したり、性欲についても女に都合よく興奮したり抑制したり。アホクサ。もっとも性欲については、一緒にラブホテルに入りながら、女が拒絶すると大人しくベッドの上で本を読んで待ち、女がその気になるとたっぷり満足させるという、まさに究極の『都合のいい男』というのが、有名な小説の僕だからなあ。しょうもないか。こんな話、男から見れば、プロの棹師ぐらいだろうと馬鹿馬鹿しい限りなのだが。(ここでいう棹師とは、釣や三味線とは関係なく、アダルトビデオや裏ビデオの男優など、男性の生殖器(棹)を自在に勃起させたり持続させたり射精させたりできる、つまり伸縮自在なチ○コを持ったスケベの専門家のこと) 要するに女にとって『都合のいい男』が、女に都合よく出たり入ったりとか、女に都合よく入れたり出したり(『時計仕掛け』の用語)という男性像ばかりだ。 昔、男が描く女性像においても『都合のいい女』というのが流行った時代がある。ある日突然、貧しい引きこもりの男のアパートに見ず知らずの大金持ちの令嬢が裸で転がり込んできて助けを求めるというのが典型パターンで、もちろんその女は美人で可愛くて巨乳でスタイルが良くて、ちょっと小悪魔的だけど優しくて、男を一途に慕うというもの。今でも亜流を稀に見るパターンだよね。馬鹿馬鹿しいと思うだろう。 でも、最近の『都合のいい男』というのも似たようなものなんだよね。現実の男がそれだけつまらない奴ばかりということではないと思うけどなあ。 ⇒ このブログのトップへ ⇒ にほんブログ村 映画ブログへ |
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