ハムイチの棲み家

アクセスカウンタ

zoom RSS 映画の感想文 [431] カビリアの夜

<<   作成日時 : 2011/11/22 00:04   >>

トラックバック 0 / コメント 0

【カビリアの夜】
原題:Le Notti di Cabiria
製作国:イタリア
製作年:1957年
日本公開:1957年11月
監督:Federico Fellini(フェデリコ・フェリーニ)
出演:Giulietta Masina(ジュリエッタ・マシーナ)

=== あらすじ(途中まで) ===
 ローマの売春婦のカビリアは、男にだまされ、バッグを盗られたうえに川へ突き落とされた。その場は付近の住人たちに助けられるものの、あわや死にそうになったというのに、なかなか裏切られたことを信じることはできなかった。
 カビリアは郊外に小さな一軒家を持ち、いつかは生活を変えたいと願いながら、仲間と一緒に街道沿いに立って夜通し仕事をする毎日を送っていた。
 ある夜、街頭で有名な映画俳優に誘われ、ナイトクラブで踊った後に邸宅へ案内されるが、そこへ愛人がやってきたために一晩中、バスルームに閉じ込められてしまう。
 次の夜には、郊外の洞穴に住むホームレスに施しをする男に出会う。
 売春婦やヒモ仲間たちと一緒に、聖母の奇跡を願うために巡礼集会へ行ってみるが、お祈りしても誰も何も変わるところはなく、カビリアは激しく苛立つばかりだ。
 別の夜、気紛れで入った演芸場で若い男から声を掛けられた。その男は会計士のオスカーと名乗り、自分は売り子だと嘘をつくカビリアに、日曜の夜7時に駅で会おうと誘ってきた。

=== 感想(ネタバレ) ===

● いくつかの夜
 売春婦カビリアのいくつかの夜の体験談ということになる。
 実際には昼間のシーンも多いので、カビリアが夜に知り合った男たちのお話というほうが正確かもしれない。映画俳優、ホームレスに施しをする男、そしてオスカーだ。巡礼集会へ行く男達も、おそらくずっと以前、夜に知り合ったのだろう。
 男に騙されて何度もどん底に落ち、そして年齢を重ねるごとに仕事も先細りになる。そういう不安を抱えながら生活を変えたいと願い、かろうじて希望を持ち続けるという夜が続く。

● カビリアの人生
 カビリアの境遇はごく簡単に語られる。
 ホームレスに施しをする男との会話から、本名はマリア・チェカレッリといい、両親は子供のころに死に、その後、ローマに出てきて売春婦になったということがわかる。今、住んでいる家は街道沿いに19キロも行ったところにあり、いつもはバスで売春をする場所までやってくる。
 彼女はおそらく社会の底辺のような環境で育ち、不便な場所ではあるものの、ようやく自分の力で家を持つことができるようになったということだ。生活を変えるための地道な努力をきちんとできる性格なのだろう――しかし、男運が悪いために、這い上がることができないらしい。(*1)

 カビリアは、聖母と同じ名を持つが、これまでは宗教とは縁のない人生だったらしく、現在も信仰心は希薄だ。
 彼女は宗教をボロクソに罵倒するのだが、監督がカトリックに否定的なわけではない。少なくとも、現世的な御利益を神に求めてはいけないということだろう。

 カビリアの将来も暗示されている。
 ローマ郊外の洞穴に住むホームレスの中にポンバという女性がいる。一時は羽振りが良かったらしいが、いまは洞窟に住み、お菓子や松の実の差し入れに喜ぶような境遇だ。
 おそらく彼女も元は売春婦だったのだろう。それは年老いたカビリアの姿を暗示しているに違いない。

● ジュリエッタ・マシーナ
 演技についてはジュリエッタ・マシーナを見る映画といえそうだ。
 小柄で漫画顔といってよく、あまり華やかなイメージはないし、売春婦役なのに妖艶なイメージは皆無。それでも映画として最後まで観てしまうだけの魅力がある。
 芝居はうまいけど、どちらかというと舞台向きかもしれない。動きが少し大げさな感じになってしまう。例えば、体が左右に揺れすぎることがあるし、いわゆるナンバ歩き(同じ側の手と足が前に出る)になっているときもある。
 すごくいいと思うのは、メリハリの利いた動きと、不思議に惹きつける表情かな。
 ナイトクラブで見せるマンボも、ちょっと面白い。(*2)

● こんばんは (以下、ネタバレ)
 ここからは、ラストシーンについて。

 映画の最後は、一度は絶望したカビリアが、夜の道で歌って踊る若者達に取り囲まれるというシーンだ。少女が「こんばんは」とあいさつをし、カビリアは涙を流しながらにっこり笑ってうなずく。
 大事なのは、カビリアのメイク。左目の下は化粧が流れてちょうど道化のような顔になっているのだ。(*3)

 実は、十数年後に作る『ローマ』で、フェリーニは自分自身に擬した登場人物に語らせている。
 「ローマは処女にして雌オオカミ、貴族にして売春婦、道化でもある」
 売春婦で、最後に道化のような顔になるカビリアは、ローマの象徴ということなのかもしれない。

 とはいうものの、この映画の中だけで監督のメッセージを受け止めるべきだろう。
 素直に見れば、ラストシーンのカビリアの表情は、「生きているだけめっけもの」とか、「生きる希望を持とうよ」といったメッセージに読み取れる。
 少女に「こんばんは」とあいさつされて、カビリアは生きる希望を取り戻すのだ。
 そして、ほんの一瞬だけカメラ目線になって、かすかにうなずく。これは彼女が映画の観客に「こんばんは」とあいさつをしたことになる。すなわち――
 カビリアにあいさつされて、観客は生きる希望を新たにする――というわけだ。

● 少し物足りない
 演芸場、教会、身体のボリューム満点な売春婦たち、……。これらは、この監督の定番。群集の雑然とした様子を撮るのもうまい。音楽もいつもどおり。
 全体的に少し物足りない感じはあるけど、この監督の映画ということ。


(*1) ジェルソミーナ
 ほぼ同時期に同じ役者を使ったということもあって、カビリアは『道』のジェルソミーナと比較されることがある。比喩的に “妹” を描いたものという話もどこかで読んだような気がする。
 しかし、ジェルソミーナは親に売られた境遇で、性的な魅力は乏しいという設定だったのに対し、カビリアは両親に死なれて、その後は性的な仕事に就くという具合に、ずいぶん違う。
 宗教の受け止め方も、男の接し方も違う。
 だからといって、何か対比になっているというような関係性も見出しにくい。
 比較しても、あまり意味がないような気がするけど……。

(*2) マンボ
 『道』の中で、結婚式で食事に呼ばれたときのおどけたポーズに似てる。

(*3) 道化の涙
 またまた同じネタで恐縮だが、『道』の劇中劇、猟師とアヒルの“珍無類の喜劇”の化粧を思い出す。

画像
ナイトクラブ

画像
道化の涙で映画の観客に「こんばんは」

Federico Fellini(フェリーニ)の映画の感想
 ⇒ 寄席の脚光
 ⇒ 白い酋長
 ⇒ 青春群像 (ちょっと待ってね)
 ⇒ 道
 ⇒ 崖 (ちょっと待ってね)
 ⇒ カビリアの夜 (今回の書き込みです)
 ⇒ 甘い生活
 ⇒ 8 1/2
 ⇒ 魂のジュリエッタ
 ⇒ サテリコン
 ⇒ フェリーニの道化師
 ⇒ フェリーニのローマ
 ⇒ アマルコルド
 ⇒ カサノバ
 ⇒ オーケストラ・リハーサル
 ⇒ 女の都
 ⇒ そして船は行く
 ⇒ ジンジャーとフレッド
 ⇒ インテルビスタ
 ⇒ ボイス・オブ・ムーン

 ⇒ このブログのトップへ
 ⇒ 映画の感想のインデックス(作品名順)
 ⇒ 映画の感想のインデックス(監督名順)
 ⇒ 映画の感想のインデックス(テーマ別(?))

 ⇒ 映画(全般)ブログランキングへ
 ⇒ にほんブログ村 映画ブログへ

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

映画の感想文 [431] カビリアの夜 ハムイチの棲み家/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる