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zoom RSS 映画の感想文 [723] アギーレ/神の怒り

<<   作成日時 : 2014/07/19 18:20   >>

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 ワールドカップも終わり、映画の感想を再開。
 まずは、次の日本代表監督の噂とまったく関係ない、この作品から。

【アギーレ/神の怒り】
原題:Aguirre, der Zorn Gottes
製作国:西ドイツ
製作年:1972年
日本公開:1983年2月
監督:Werner Herzog(ヴェルナー・ヘルツォーク)
出演:Klaus Kinski(クラウス・キンスキー)

===== あらすじ(途中まで) =====
 1560年、スペインの一団が黄金の都エルドラドを求め、アンデスの峠を超えてアマゾンへと入って行った。指揮するゴンザロ・ピサロは、情報収集のため、ウルスアを隊長とし、アギーレを副隊長とする分遣隊の派遣を決めた。同行するのは王族のグズマン、修道士のネグロ、ウルスラの愛人イネス、アギーレの娘フロイスらだ。
 分遣隊は筏で川を下り始めるが、急流に巻き込まれたり、姿を見せない原住民に仲間を殺されたりして、たちまち立ち往生してしまう。ウルスラが引き返そうと決断したとき、アギーレが謀叛を起こした。突然、ウルスラを銃で撃ち、グスマンを傀儡のエルドラド皇帝に就かせ、新たな筏で再び川を下り始めた。幸いウルスラは命をとりとめるものの、もはや何も語ることなく横たわるだけだった。
 アギーレの一行は食人族の村を襲撃し、友好的なインディオの夫婦を殺し、ひたすら川を下っていくが、ひどい熱病と川岸からの原住民の弓矢の攻撃で次々と消耗していった。

画像

===== 感想 =====

● 征服の日記
 このお話は史実にもとづくものではなく、フィクションらしい。映画の中では、後に発見された修道士ネグロの日記にもとづくストーリーという設定だ。
 その日記には、1560年12月25日にピサロの一団がアンデスを越え、翌年の1月12日に分遣隊の副長アギーレが反乱を起こして新しいイカダで出発し、2月22日に修道士が携行するインクがなくなるまでが綴られている。
 その内容は、当人たちにしてみれば広大な領地を征服していく日記というつもりなのだろうが、映画で語られる様子からは、スペイン人の一団のジャングル彷徨記録だ。アマゾンの支流を下りながら、反乱を起こした征服者たちは身も心も磨り減り、やがて精神崩壊していく。征服欲や支配欲そのものが狂気なのだ。

● 征服の根拠
 こうした話を通じて、まずは当時のスペインの中南米征服あるいは侵略のようすを垣間見ることができる。
 征服は軍人たちの武力だけによるものではない。その手段や根拠として、宣教師と王権が重要だ。
 つまり、聖書を読んで聞かせ、不敬なことがあれば異教徒の冒涜と決めつけて制裁を行う。武力行使の正当性を主張する根拠として宗教が必要であり、そのために宣教師は欠かせないのだ。(*1)
 そして武力で制圧した後は、その地を領土として宣言する。そのとき支配権の正当性を主張する根拠として王権が必要であり、そのために王族や高級貴族が欠かせない。
 軍人、宣教師、貴族――当時の征服の三点セットだな。

● 征服の道具
 征服のための主要な武器は鉄砲と大砲だ。鉄砲は、日本でいうところの火縄銃と同じような構造で、先込め式のもの。大砲も主に砲丸を撃つものだが、実際には散弾のような使い方もあるかもしれない。発射速度が著しく低いにもかかわらず、アマゾンの原住民に対しては圧倒的な威力を発揮する。
 彼らの移動は主に徒歩で行われ、貴族や高級な軍人だけが馬に乗り、王族や婦人は輿(こし)に乗る。険しい山道では大砲は砲身、台、車輪などに分解し、人が背負って運ぶ。火薬の樽や弾薬も大量に必要だ。こうした大量の物資を運び、輿を担ぐために、大勢の現地のインディオが雇われることになる。
 この映画は、こうした要素の一つ一つについて、特徴が浮き彫りになるようなエピソードを用意し、ものすごく丁寧に描きながら、征服者たちのおかれた状況設定の描写を積み上げている。

● 征服の狂気(オチバレ)
 映画の始まりは山岳地帯だ。アンデス山脈の奥深く、雲の中から狭い尾根道を伝って隊列が降りてくる。その列は長く、困難な行進のように見えるのに、綺麗に着飾った女性も加わっている。何の台詞もなく、静かな映像がまだ淡々と流れているだけなのに、早くも異常な状況を予感させるイントロだ。
 やがて、彼らがアマゾンの奥地を征服しようとしていることがわかり、その計画が頓挫して、彼らの心身が次第に崩壊していく様子が描かれていく。邪(よこしま)な征服者を受け入れるような土地ではなかったのだ。それでもアギーレは征服に執着する。

 映画の終盤になって、何故、アギーレはこんなジャングルの奥地まで自分の大切な娘を連れてきたのか、その理由が明らかになる。彼は、自分が支配者となった地で娘と結婚し、純潔の王朝を開くことを計画していたのだ。
 まさに狂気。最初から滅びの坂を転がるしかない狂気を秘めていたということだ、

● 憤怒の神
 邦題は「アギーレ/神の怒り」だが、より原題に忠実に訳すなら「アギーレ/憤怒の神」とでもすべきだろう。征服という自分の野心を妨げるものすべてを排除する怒れる神というわけだ。
 映画のラストのカット――自分の支配する世界に対して己を誇示するかのように胸を張って踏ん反り返り、すべてを見下すような目――それは狂気の虚勢にも見えて、あまりにも強烈だ。
 演じるのはクラウス・キンスキー。アクの強さがこれほどフィットする役というのはそうはあるまい。

● 必見
 90分ほどの長さなのに、最初に観たときは3時間近いスペクタクル映画ではないかと錯覚した。それほど強烈な映像が密度濃く展開される。
 必見。


(*1) ちょうど日本では信長や秀吉の時代へと移り変わるころだが、当時の日本は長年の戦国時代を経て世界でも有数の武力を持っていたため、宣教師が征服の手段、侵略の先兵として十分に機能することはなかった。

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アンデス

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Ich bin der Zorn Gottes
我は憤怒の神なり

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我は憤怒の神なり
我に従うものは誰だ

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支配者

ヘルツォーク(Werner Herzog)の映画の感想
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