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zoom RSS 映画の感想文 [742] アマルコルド

<<   作成日時 : 2014/09/20 22:47   >>

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【アマルコルド】
原題:AMARCORD
製作国:伊国、仏国
製作年:1973年
日本公開:1974年11月
監督:Federico Fellini(フェデリコ・フェリーニ )

=== あらすじ ===
 ファシスト党が台頭する時代。少年ティッタの家族を中心に、イタリアの小さな町の春から1年間の様子を描いたもの。

=== 感想 ===

● 数々のエピソード
 『アマルコルド』とは、フェリーニの故郷の方言で「私は覚えている」という意味らしい。監督の少年時代の郷愁をつづったものだ。
 映画全体を通じて何か一つの物語があるということではなく、いくつものエピソードから構成されている。場面が大きく変わるごとに、住民の一人である弁護士がカメラに向かって状況を解説するので、一つ一つの話は数分程度なのにすごく密度が濃い。
 それぞれが面白く、ときに美しく、甘酸っぱい。
 どの話に心を動かされるか、それは観客次第。

● ティッタ
 少年ティッタは、おそらく監督の子供時代の代わりなのだろう。祖父、アウレリオとミランダという両親、弟の五人家族で、家には家政婦ジーナや居候の伯父なども同居している。
 映画の冒頭、「綿毛が舞えば冬の終わり」となり、街の広場で冬の象徴である魔女の人形を火あぶりにする祭りが行われる。
 ティッタは、学校へ行けば休み時間も授業中も仲間と悪戯をやりまくる。やり過ぎて親が呼び出されることもあるけれど、そんなのへっちゃら。陽気な悪戯なので、本気で怒る者などいないからだ。
 家の食事はいつも騒々しくて賑やかで、すぐに父と母の口喧嘩が始まる。でも、それは家族みんなの絆(きずな)の表れ。とても温かくて幸せそうだ。
 クラスにはアルディーナという人気者の可愛い少女がいるけれど、ティッタが興味のあるのは大人の女性だ。赤いドレスが似合う町一番の美人グラディスカや煙草屋の巨乳のおばさんがお気に入りで、一方、いつも発情しまくりのヴェルビーナは苦手。学校の女性教師もセクシーに感じることがあるし、祭りでは女性の大きな尻ばかり見てるし、町に娼婦や踊り子の一団がやって来たのも覚えてる。
 ティッタは映画館でグラディスカの脚を触るけど「探し物?」とあしらわれる。なんとか煙草屋の巨乳を吸うことはできたものの、それ以上は子供扱いで店を追い出される。少しずつ男になっていくのだ。

● 時代
 時代はファシスト党の絶頂期。町では大きなムッソリーニの顔を掲げたパレードが行われる。
 しかし、夜になって教会の塔で革命歌の『インターナショナル』を流す者がいた(*1)。ティッタの父アウレリオは日頃からファシストに批判的だったため、犯人と疑われてファシスト党の支部長から厳しく尋問されることになる。屈辱的な仕打ちを受けたアウレリオは、泣くように帰宅するが、妻のミランダが優しく迎えて温かい風呂に入れる。
 時代背景の暗さを描くエピソードだ。しかし、フェリーニはこれを夫婦愛の話に昇華させてしまう。さすが。

 ティッタが15歳という設定なので、彼がフェリーニのことであれば、時代は1935年前後ということになる。世界が大恐慌から持ち直した頃だが、イタリアは大恐慌がさほど影響しないほど元々景気が悪かったらしい。会社の倒産や閉鎖などは日常的だったろう。
 グランドホテルがその象徴となる。
 かつて景気が良かった頃、グラディスカは貴族に招かれてこのホテルの部屋を訪ねた。水色とピンクのカーテン、赤いスタンド、黄色い花、そしてソファなどの白い家具がムード満点。ベッドのシーツも真白だった。
 アラブの金持ちが大勢の側室を連れて泊まりに来ることもあった。町で行商をしているビシェールは、側室たちに手招きされ、運よく部屋へ忍び込むことができて、一晩で28人も相手にしたと自慢している。
 それも、つい昔の話。いまは閉鎖されて中は荒れ放題。霧の濃い日、玄関前でティッタたちは舞踏会を想像してダンスを踊るが、そこに冬の風が吹きつけてくる(*2)。

● 叫びと明かり
 ティッタの伯父テオは精神病院に入院している。天気の良い日、外出が許されたテオは家族と一緒に馬車で農場へ遊びに行くことになった。ところが食事が済むと、テオは木に上って「女が欲しい」と叫び始めた。梯子を掛けて降ろそうとしても上から石を投げつけ、いつまでも叫び続けている。困ったアウレリオは病院へ連絡した。迎えに来た者たちの中に小人の尼僧がいて、彼女に一括されると、テオは即座におとなしく従った。
 この尼僧は何者? まさかテオの女ではあるまいし、ちょっと不気味なエピソードだ。(*3)

 答は客船レックス号かもしれない。
 ある日、町の人たちは総出で小舟に分乗し、沖合8キロのところを通過する豪華客船を見学しにいく。しかし、夜になっても、いくら待っても船はやってこない。泳ぐにはもう水が冷たい季節で、納涼気分ではない。グラディスカは、「私の望みはいつも叶わない」と溜め息をつく。
 でも、船はやってきた。何段もの列になった船室の窓に明かりが灯り、マストから伸びる空中線(張り線)にも数多くの照明がぶら下がったその姿は、とても巨大で荘厳な趣きがあり、この世のものとは思えないほどだ。

 さて……。
 叫びと明かり。どちらも何かと「めたふぁ〜」にされやすいネタだ。叫びは、怒り、悲しみ、悩み、抑圧、葛藤など。明かりは、希望、未来、良心、悟りなどなど。ベタだ。
 何とも意味ありげなエピソードだけど、おそらく大した意味はないだろう。
 フェリーニが子供のころに強烈に心に焼きついた記憶……ただそれだけのことだ。
 伯父さんの行動も、尼僧の正体も、なんか不気味で不思議。巨大な客船がとてつもなく美しくて圧倒された――そういう記憶を映像化しただけのこと。
 答はそれだけのことだ。

 フェリーニの映画に、安直に精神分析っぽい用語を持ち込んでグダグダ言うのは、すご〜くイモなのだ。そういうのって、フェリーニの言葉によれば、“感じる”力の鈍い奴、感性愚鈍ということになる(*4)。

● 死と結婚
 冬、何十年ぶりかの豪雪がやってきて、ティッタの母は病気で入院する。雪が高く積もった町でティッタたちが雪合戦をしていると、伯爵が飼っているクジャクが迷い込んできて羽根を広げた。さほど美しくはない。それは不吉の前兆。母ミランダは亡くなってしまう。
 しかし、また春が来て綿毛が飛ぶ季節、グラディスカは結婚して新婚旅行に旅立つ。
 ミランダとグラディスカ――ティッタの前から大切な女性が二人もいなくなってしまった。
 町の人たちの人生は少しずつ変わり、ティッタも少しずつ大人になり、1年は巡っていく。

● にっこり
 この映画、話に大きな盛り上がりがあるわけではない。ドラマ的な起承転結や序破急などもなし。
 でも、ぼんやりと観ていると、いつの間にか自分の顔がにっこりと微笑んでいることに気が付く。不思議な映画。
 これがフェリーニの魔法かな。


(*1) 日本語の歌詞の出だしは、「起(た)〜て〜、飢えたる者〜よ、い〜ま〜ぞ日は近し〜」というもの。学生運動が盛んだった時代には、20歳までに誰でも一度は聞いたことのある曲だ。唄った人も多いと思う。
 この歌はファシスト党に敵対するコミュニスト(共産主義者)の歌であり、映画ではファシストたちが必死になって犯人捜しをすることになる。

(*2) 風の音の寒そうなこと。日本人なら、ここで黒澤の『素晴らしき日曜日』の音楽堂のシーンを思い出すところだ。

(*3) 蛇足ながら。
 精神を患っている者の性――現代でも重要な課題のはずだが、いまの日本では、はっきりと議論するのはタブーらしい。

(*4) 『ローマ』や『オーケストラ・リハーサル』など参照

画像

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