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zoom RSS 映画の感想文 [952] インテルビスタ

<<   作成日時 : 2016/06/13 21:34   >>

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【インテルビスタ】
原題:Intervista
制作国:イタリア
製作年:1987年
日本公開:1988年6月
監督:Federico Fellini(フェデリコ・フェリーニ)
出演:Sergio Rubini(セルジオ・ルビーニ)

===== あらすじ(途中まで) =====
 日本人の取材班がフェリーニのインタヴューにやってきた。フェリーニがチネチッタのスタッフを紹介し、映画界に入ったころの思い出を語るうち、たまたまCM撮影中のマルチェロ・マストロヤンニに出会った。ふと思い立ったフェリーニは、若いころのフェリーニ役の役者セルジオや日本人取材班を連れて、ローマ郊外にあるアニタ・エクバーグの別荘へ行こうと言い出した。

===== 感想 =====

● 映画とは 
 タイトルの「Intervista」とはインタビューという意味。日本人から取材を受けるフェリーニの様子を軸に、自分と映画とのかかわりの始まり、自分にとって映像や映画とは何か、そして映画の行く末はどうなるかといったことが語られる。
 これらの答えは、
1 フェリーニと映画とのかかわりは、路面電車で乗り合わせた美少女との出会いに始まる。
2 映像の現実は虚構である。
3 映画とは映像美であり、泉で女神のように噴水を浴びるアニタ・エクバーグの横顔が、フェリーニにとって最高のカットである。
4 映画の今後は、テレビが敵になる。

 この映画を素直に観ると、こういう感想を持たざるを得ないけど、ほかの映画などの兼ね合いから、この映画は老監督の思い出と思い付きの綴れ織りということになりそう。上記の四つの答えは絶対視しないほうがよさそうだ。

● 主役 
 この映画に主役はいないことになっているらしい。
 実際には、映画の半分以上を占めるのは、まだ記者だった若き日のフェリーニが路面電車に乗ってチネチッタへ行き、女優をインタビューし、撮影風景を見学するというもの。
 この電車の中で美しい少女に出会うが、これといったロマンスに発展するわけではない。あくまでもほんのひと時の思い出。ただし、彼が自分と映画とのかかわりを振り返るときに、決して忘れることのない思い出なのだろう。

 このエピソードを重視するなら、この映画の主役は、若いフェリーニ役の役者であるセルジオを演じたセルジオ・ルビーニということになる。ややこしい。

● 現実と虚構 
 この映画の映像はもっと複雑だ。
 現代と過去、現実と夢あるいは映像と撮影とが、次々と入れ替わるように綴られていく。基本的に、日本人がいれば現在の場面であり、いなければフェリーニの回想や夢の場面ということになるが、それほど単純なことではない。
 現在制作中の撮影シーンだけでなく、フェリーニの回想のそのまた撮影シーンという具合に場面が重なっていき、結局、いま見ているのは現実なのか回想なのか夢なのか、はたまた撮影している様子なのか、僕のような馬鹿には何が何だか分からなくなる。フェリーニがそうした混乱を意図していることは明らかで、理屈じゃなく、映像として楽しんでもらえればいいんだよと言っているかのよう。

 彼にとって映像は頭に思いついたイメージを具現化する手段の一つに過ぎないのだ。現実か虚構かはあまり重要ではない。現実を描写する場面であろうと、所詮はチネチッタという虚構を作り出す街で生まれた映像にすぎないのだから。
 例えば、映画の冒頭、月の明かりはクレーンで高く持ち上げられた照明によって作り出され、映画の中盤、線路も建物も本物そっくりな偽物が作られる。こうした撮影の種明かし的要素は『8 1/2』からあるものだけど、『カサノバ』や『そして船は行く』で露骨になってきてるみたい。

● インドとインディアン
 この映画のキーワードはインドとインディアン。

 まず、映画の中で象が重要な動物として登場する。この象はインド象らしい。
 で、インド。
 若き日のフェリーニは取材相手の女優を追って、インドのマハラジャの宮殿の撮影リハーサルを見ることになる。このとき、フェリーニは映画撮影の面白さに魅せられたようだ。
 ところで、このときのスタジオの喧騒を描くときに流れた音楽は、なぜか『ペルシャの市場にて』。ペルシャはイランであってインドではない。『サテリコン』の般若心経と同様、どうもフェリーニのアジア趣味はいい加減だ。

 映画の終盤は、屋外での撮影風景だ。そのとき突然の豪雨に見舞われる。場所はチネチッタであり、周りにはいくらでも建物があるというのに、なぜか役者もスタッフもトラックやビニールハウスのようなテントで一晩を過ごす。テントの中で皆は肩を寄せ合い、ポットのコーヒーで暖をとる。
 これって役者やスタッフの仲間意識、あるいは家族的な絆の比喩(めたふぁ〜)なのだろう。

 そしてインディアン登場。
 実は映画の前半にも路面電車を見下ろす山の上に登場しているのだが、今度は山を下りてくる。
 つまり、映画の撮影クルーがビニールのテントで雨宿りをした明け方、テレビのアンテナを槍のように構えたインディアンたちの襲撃を受けるのだ。このとき、役者やスタッフたちは全員で強力してライフルを打ちまくって立ち向かう。最後は、このインディアンも役者だと当然のオチがつく。もう何が何やら意味不明なシーン。
 心に残るのは次のメッセージだな。すなわち――映画の敵はテレビ!

● 美しさと儚さ
 実はこの映画を最初に観たのはつい最近。劇場で上映されることもなく、DVDも無いので、ようやくVHSを見つけて観ることができた次第だ。
 それで知ったのだが、アニタ・エクバーグがフェリーニにとってこれほど重要な位置を占める女優だったとは驚きだ。演技はさほどでもないので、出演作は少ない。『甘い生活』のほか、『アントニオ博士の誘惑』、『道化師』そして本作くらいじゃないかな。しかも、いずれも登場時間は短い。

 今回、わざわざ『甘い生活』のダンスシーンや泉のシーンが映される。それもマルチェロ・マストロヤンニが魔法をかけるかのように、唐突に映像が流れ出すのだ。素直に観れば、ここに流れた映像は、監督にとって一番好きなシーン、最も思い出深いシーンということになるのだろう。
 フェリーニは、理屈ではなく、映像の美しさや楽しさを追求してるということがよくわかる場面だ。(*1)

 さて、『道化師』でも本作と同様、アニタ・エクバーグは本人の役で登場している。共通性を持たせているみたい。
 すなわち、『道化師』はもはや廃れてゆく道化師の行く末を描くものであり、本作はテレビに押される映画の行く末を案じるものということかな。

 なお、現在のアニタ・エクバーグの姿は、ほぼ、お笑いタレントの「まちゃまちゃ」……。
 美しさは儚いものだ。

● ファン向け
 フェリーニのファンでないと無理な映画。
 いや、フェリーニのファンであっても、さほど楽しめないんじゃないかな。


(*1) ただし、フェリーニを精神分析ごっこで「解釈」しようとする映画ツウの方々の場合、このシーンは年寄りのノスタルジーでしかないのだろう。

画像

Federico Fellini(フェリーニ)の映画の感想
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 ⇒ 崖 (ちょっと待ってね)
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 ⇒ 8 1/2
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 ⇒ ジンジャーとフレッド
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