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zoom RSS 映画の感想文 [1059] メトロポリス

<<   作成日時 : 2017/04/09 13:05   >>

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【メトロポリス】
原題:Metropolis
製作国:ドイツ
製作年:1925年
日本公開:1929年4月
監督:Fritz Lang(フリッツ・ラング)
出演:Gustav Frohlich(グスタフ・フレーリッヒ), Brigitte Helm(ブリギッテ・ヘルム)

===== あらすじ(途中まで) =====
 未来都市メトロポリスはフレーダーセン家が治める階級社会だ。ごく一部の富裕層は摩天楼の最上階に設けられた「楽園」で遊び暮らし、都市基盤となる工場や発電所は地下にあって、さらにその下に多くの労働者たちが住む町が広がっている。
 フレーダーセンの子息フレーダーは、享楽的な日々を送っていたが、ある日、大勢の子供たちに最上階を見せに来た労働者階級の娘マリアに心を惹かれた。思い悩んだフレーダーは、一人でそっと地下へ下りてみた。そこは、大勢の労働者が拷問のような10時間シフトに縛られ、機械事故の危険にさらされながら、過酷な労働を強いられている、魔宮のような世界だった。
 地上に戻ったフレーダーはフレーダーセンに窮状を訴えるが、フレーダーセンはまったく取り合おうとはしない。フレーダーセンは、最近、労働者の間に不穏な動きがあることが気になっていたのだ。彼は自ら様子を探りに地下へ下り、労働者を扇動しているのがマリアだと知って、発明家のロトワングに現在開発中の機械人間をマリアそっくりに作るよう命じた。偽マリアで労働者たちを操ろうと考えたのだ。
 ロトワングはマリアを拉致し、彼女の姿形を写し取ったロボットを作り上げた。
 そのロボットは地上ではセクシーなダンスで富裕層を堕落させ、地下では過激な演説で機械を破壊するよう労働者たちを煽った。怒りが爆発した労働者たちは暴動を起こして発電所を破壊するが、その発電所は地下の町を浸水から守るために必要なものだった。
 町には大勢の子供たちが取り残されていた。そこへ洪水のように水が襲ってくる。
 マリアの行方を捜していたフレーダーは、元秘書のジョセフと二人で、必死に子供たちの救出を始めた。

画像
機械人間

===== 感想 =====

● SF世界
 SF映画の傑作とされる作品。中にはSF映画はこの映画で始まったとか、SF映画の最高峰とか持ち上げる人がいるけど、そんなことはないと思う。
 この映画の製作年は1925年。驚くほど早い時期ということではない。SFの映画としては既に1902年にジュール・ベルヌを原作としたジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』があって、その一シーンくらいは映画好きなら誰でも見たことがあるはず。

 この映画のすごさは、いくつかの点で、今日と同じようなSFの世界観を描いていることだろう。
 例えば未来社会の社会構造。現代よりも民主主義のレベルが低いといった一種の逆進化があること、搾取・被搾取の階級がより鮮明になっていることなど、最近でもよく見かける設定だ。
 例えば空中都市。高層ビルが立ち並び、その間を道路や軌道がめぐっている。いわば中空を人や車が移動している状況で、さらにビルの間を飛翔する乗り物が飛び回る。ビルそのもののデザインについても、無機質で冷たい感じのものが多い。これらも最近の映像でよく見る設定。
 例えば小道具。今回はテレビ電話がちょっとお洒落。
 例えばロボットあるいはアンドロイド。この映画では最初は「the machine men(機械人間)」と呼び、終盤は「Robot(ロボット)」と呼んでいる。その造形は今日の映画と比べても遜色がなく、むしろ格好いいくらい。そして製造プロセス、特に起動させるシーンなど、いまどきの安いSFよりモダンに思えるほどだ。
 90年前にこうした映像が発想されたことを、まずは賞賛すべきだろう。

● 地下世界
 この映画の世界観で、誰もが注目するのが地下世界だと思う。
 メトロポリスの地下には巨大な工場や発電所があり、さらにその下には労働者の居住区ともいうべき町があって、これら2層の間を大勢の労働者が10時間おきに大きなエレベーターで行き来する。ちなみに建物の壁に掛かっている時計は短針が10時間で1回りするもので、労働者を縛りつけるサイクルに合わせたものとなっている。
 労働者は機械に従属している。まるで機械の奴隷となって拷問を受けているかのような日々が続く。仕事を終えた労働者は誰も疲れ果て、町へ帰るときは力なくトボトボトと行列になってエレベータに乗り込む。実はこれから仕事に向かう者も皆、背を丸め項垂(うなだ)れていて、精神的にもいつも疲弊しきっていることがうかがえる。
 機械は時に大事故を起こし、大勢の労働者を犠牲にする。その様子は、まるで人を食う魔物のようだ。
 こうした様子は、まさにエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845年)のSF版。ロシア革命直後の1920年代において、革命を呼び込む社会情勢の描写となっていて、多くの観客の共感を呼んだことだろう。実はこの数年後に世界大恐慌が始まり、働く場さえ無いという、もっと悲惨な世界が待っているのだが……。

 そこに住むマリア(聖母と同じ名前)は、古代墓地カタコンベで人々を教化する。ところが偽マリアの煽動のために町が水浸しになると、マリアは魔女だといわれ、公開の場で火あぶりにされそうになる。
 こうした様子は、宗教的というよりは、オカルト的な風味を出そうとしたものではないかな。

 時代がよく反映された設定やエピソードなわけで、いま見ると一種の懐古的な気分で楽しむことができるみたい。

● 地上世界
 監督がこの映画に寄せる思いを感じるためには、地下世界だけでなく地上世界にも目を向けないといけない。
 そもそも、この映画の最初の映像は高層ビルで、それがピストンや歯車のような機械の映像に重なるという出だしだ。摩天楼の地上世界と工場の地下世界とは裏腹のもの、というより一心同体で不可分のものという考えがあるのだ。

 それがよく表れるのは、マリアが地下墓地で労働者たちに語る言葉だ。彼女はそこでバベルの塔を語って聞かせるのだが、地上世界の摩天楼をバベルの塔になぞらえていることは間違いない。そして、この時のマリアの結論は、バベルの塔の建設が失敗したのは計画を立てる者の理想が現場の労働者たちに理解されなかったからであり、両者を仲介する者がきっと現れるというものだ。それらを「頭脳」と「手」そして「心」に喩え(たとえ)ている。
 実はこの考え方は映画の冒頭に字幕で語られている。すなわち、
「頭脳と手の仲介者は心でなければならない。
(The mediator between brain and muscle must be the heart.)
 テアフォンハルボウ(Thea Von Harbow)」

 エンゲルスが糾弾したような労働者階級の惨状を描きながら、資本家を頭脳に、労働者を手に喩えているわけで、両者は「心」に喩えられるものによって仲介されるという。つまり資本家と労働者の階級闘争を否定するものだが、いかにも労働者を「能なし」と馬鹿にした言葉のようにも聞こえるし、現代社会ではソフトウェアやコンテンツなどの分野で頭脳労働をしている労働者も多く、現代ではまったく受け入れられない思想だろう。

● シュール
 この映画は、SF的な映像以外にも面白い映像を観ることができる。

 例えば、映画の最初に登場する労働者の日次シフト。
 労働者は10時間シフトの体制で地下の工場とさらにその下にある住宅街とを行き来するのだが、大きなエレベーターに乗り込むために何列にも並んで進む。その様子が、全員背中を丸めて項垂れた姿で、身も心も疲れ果て、将来に何の希望も無いといった風情で、ものすごく印象的。

 次いで「楽園」。
 こちらは花々が咲き乱れ、クジャクが放たれた庭になっていて、噴水の周りで若い男と女がいちゃついている。無邪気で享楽的な雰囲気が、何となくシュール。

 あるいは偽マリアである機械人間のセクシーダンス。
 ブリギッテ・ヘルムという女優さんが演じているそうだが、清楚で慎ましいマリアの姿と比べ、ダンスシーンでは豊満なスタイルと挑発的な腰の動きのギャップが大きい。それを見つめる地上世界の男たちのいやらしい目つき。かなりストレートに退廃を表現していて、映画の雰囲気をうまく盛り上げている。

 一方で、バベルの塔の建設の映像表現はすごくモダンな感じの映像だし、偽マリアの火あぶりシーンは、古典ホラーの先駆けのようなイメージ。

 とにかく飽きないのだ。

● お薦め
 100年近くも昔の映画なのに、いま観ても十分に面白い。
 できればリマスターなどで映像をきれいに焼き直し、音楽や音声も付ければ、かなり楽しめるんじゃないかな。今後に期待。


画像
機械
人を食う怪物に変身する

画像
空中都市

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