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zoom RSS 映画の感想文 [1101] サタデー・ナイト・フィーバー

<<   作成日時 : 2017/07/26 09:34   >>

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【サタデー・ナイト・フィーバー】
原題:Saturday Night Fever
製作国:米国
製作年:1977年
日本公開:1978年7月
監督:John Badham(ジョン・バダム)
出演:John Travolta(ジョン・トラボルタ), Karen Lynn Gorney(カレン・リン・ゴーニイ)

===== あらすじ(途中まで) =====
 ブルックリンに生まれ育ったトニーは雑貨屋の店員。19歳になって、性格は明るく、同じイタリア系のボビーやガス、ダブルJたちと遊び周り、土曜の夜には欠かさずドレスアップしてディスコに繰り出した。トニーは常連客の人気者で、女性から声をかけられることも多いが、ダンスに真面目に打ち込んでいて、一緒に踊ることが多いアネットから誘われてもダンスのパートナー以上の関係になることはなかった。
 トニーは、行きつけのダンス・スタジオでステファニーという女性に出会った。前の夜にディスコで見かけた子で、ダンスが上手く、トニーは一緒にダンス・コンテストに出ようと誘った。ステファニーは乗り気でなかったが、トニーの熱心さに負けて引き受けることにした。ステファニーは自分がマンハッタンで働き、有名人と会う機会が多いことをしょっちゅう自慢するが、トニーは全く関心を持たず、ずっと店員のままでいるのかと彼女に言われても気にしなかった。
 トニーの家はイタリア系の3世代家族で、父は失業中。神父になった兄フランクだけが両親の自慢だが、フランクは突然神父を辞めて家に帰って来た。また、友人たちもいろいろな悩みを抱えていて、アネットはトニーに抱かれることを強く望み、一方、ボビーは妊娠させた高校生との結婚を迫られて悩んでいた。先日、ガスがプエルトリコのグループに襲われて大怪我をし、トニーたちは仕返しをする機会をうかがうことになった。

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===== 感想 =====

● 運命
 超有名な映画。1970年代後半のディスコブームを代表する作品で、知らない人はいないだろう。
 でも、僕が最初に観たとき、評判とは少し違うなと感じた。良し悪しのことではなく、内容についてだ。

 まず、公開当初、この作品はチャラい若者が夜遊びしまくるダンス映画だといったような紹介があったけど、観ればすぐにわかるとおり、主役はチャラくもなければ土曜日以外はほとんど遊ぶこともない。
 主役が最初に登場するときのBGMはビージーズの『ステイン・アライブ』。そしてディスコで最初にかかる曲は、何とベートーベンの『運命』。両方の曲を合わせて「運命を生き抜く」ということになる。この映画は、大人としての人生の出発点に立った若者が、生き抜く決意をすることを描くものだよと、それとなく伏線を張っていたわけだ。
 なので、映画上の対比法として、生き抜く事が出来なかった――死んでしまう――若者も終盤に登場することになる。

● 誤解
 公開後、この映画は自分の人生に悩み始めた(いまどきの言葉だと「自分探し」を始めた)若者を描く青春映画だということに気が付く人が増えたみたい。ところが、今度はトニーとステファニーの間にいわゆる「格差」をこじつけ、ブルックリンの人間とマンハッタンの人間の「身分違いの恋」みたいなトンチンカンなことを言うレビューなどが多発するようになった。

 実は、僕も最初に観たときはそれに近いような感想を持ったのだが、一方で、なんか違うぞという違和感が拭えなかった。トニーとステファニーの間に「格差」なんぞを認めては、とりわけ結末がまるで意味不明になるのだ。
 この映画を見直すたびにその違和感は大きくなり、後述のとおり、今は完全に誤った見方だったと確信している。

 そういう点からも、何かと誤解の多い映画なのだ。

● ディスコ・ダンス
 当時(1970年代後半)、この映画のディスコの映像を見て、日本のディスコと比べて大きく違うなと感じることが二つあった。その後、1980年ころにニューヨークのディスコに行く機会があって、実際に確認することになった。

 一つは客層。
 日本より大人なのだ。女性の一部にパンクっぽい子(ピークが過ぎていたせいか、さほど過激ではない)がいるほかは、普通にドレスアップした感じ。男は、ほぼビジネスマン風。
 この映画でも、客は都会の社会人ばかり。神父さんがいても「クウキよめよ」なんてクウキにはならない。でも、いかした空間になっている。

 二つは踊りのベース。
 日本だと、一昔前のタテノリが典型のとおり、踊りのベースはどう見ても盆踊りか阿波踊り。あるいは握手芸人グループがやるような、フォークダンスとラジオ体操の融合系。海の向こうの現実では、ジルバなどの男女ペアで踊るダンスがまず身に染み付いていて、マンボなどのラテン系も馴染みがあって、その上で各自がマイペースに踊るという感じ。
 その典型例として、この映画では終盤のダンス・パーティーのシーンでコッテコテのジャイブを踊るけど、これって日本人には、まず無理。

 こうした違いを認識すれば、この映画は時代ものだと安易に断定するような、世界の田舎者っぽい感想は言わないことになると思う。
 この映画を見て、当時のニューヨークのディスコとは、大人の男と女が楽しく踊る場所なのだと素直に確認するのが粋(いき)というものだ。

● トニーとステファニー
 トニーはブルックリンでイタリア系の家庭に生まれた。さほど裕福ではないし、プエルトリコなど他の移民と反目しあっていて地域の環境もあまり良好ではなさそうだ。でも、トニーはひねくれることもなく、すごく真面目で正直で、誠実な若者に育った。大学には進まず、職業は雑貨店店員。
 一方のステファニー。マンハッタンの芸能関係の会社に勤め、最初はブルックリンに住んでいるが、映画の途中でマンハッタンへ引っ越しをする。本人はトニーとは価値観も住む世界も違うと主張している。

 そんなわけで、レビューの中には、下流で下町育ちのトニーと、上流で高級住宅に住むステファニーといった対比と捉え、格差を描いてると勘違いするものが多い。
 実はトニーとステファニーがカフェで会話するシーンがあるが、ここをちゃんと観れば、「格差」なんぞ、とんでもない誤解だとわかる。

 例えば、ステファニーがマンハッタンでは『ロミオとジュリエット』を観ることができると自慢したとき、トニーがシェークスピアだねというと、ステファニーは小馬鹿にしたように「映画のことよ」と教える。おそらくシェークスピアをよく知らず、そもそも舞台演劇であることを知らないのだ。
 さらにステファニーは「ローレンス・オリビエは英国のテレビ俳優だ(the English actor on television.)」なんて蘊蓄を披露する。むしろローレンス・オリビエは舞台俳優というべきだろう。ステファニーは、彼がポラロイドのCMに出演しているのしか見たことがないようだ。
 これらの会話は、ステファニーが、本当はトニーに自慢するほど教養が有るわけではなく、背伸びしているだけで、二人は実は似たようなレベルどうしなのだと説明している場面なのだ。

 おそらく、欧米人がこのシーンを観たときは、ナイスなジョークと捉え、フフンと鼻で笑うところなのだろう。
 なのに、多くの日本人はステファニーとトニーの格差を強調するシーンと勘違いしている。その手の方々って、きっと欧米人にフフンと鼻で馬鹿にされるんじゃないか。

 二人は似た者どうしだからこそ心が通じ合うところがあり、ステファニーはトニーに癒しを感じ、トニーはステファニーにこれからの助言を求めるといった関係性になるのだろう。
 ステファニーとトニーの間にあるのは「格差」などではなく、いわゆる「自分探しの先輩・後輩」の関係なのだ。
 こう思うことで、この映画のラストの「意味を理解」し、エンディングをしっとりと味わうことができるようになるはずだ。

● 悩める若者たち
 トニーとステファニーは悩むけど、二人を取り巻く若者たちもいろいろな悩みを抱えている。特に三人に注目だ。

 トニーの兄フランクは、神父を辞めてしまった。
 元々は両親が強く希望したもので、親の期待に応えようと頑張ったが、結局は続かなかった。しばらくは慈善福祉施設(settlement house)でボランティアをしながら、自分が本当にやりたいことは何なのかを見つめ直すことになる。

 トニーに失恋するアネット。
 おそらく下町の平凡な家庭を築きたかったのだろうな。どうしてもトニーの心をつかむことができず、やけになって自分自身を粗末に扱い、みじめな結末を迎えることになる。

 ホビーも悲劇だ。
 高校生を妊娠させ、自分と相手の双方の親から結婚を迫られている。ホビーは何とか中絶させたいのだが、どちらの両親も信仰心が強いらしく、中絶などとんでもない罪だと考えているようだ。ホビーは、中絶しても法王の許しを得る方法はないかとフランクに相談するのだが、この場面そのものはコメディだけど、映画が終わって振り返れば、周りから見ると滑稽なほどに本人は深刻だったということで、終盤への強烈な伏線になっている。

 ダンス・コンテストが終わってからのトニーの言動はちょっと唐突に見える。実は、トニーは、フランク、アネット、ホビーの三人から、人生について三つの事を教わったのだ。
1 自分のやりたいことをやる。
2 でも、自分自身を大切にする。
3 そして、何が何でも生き抜く。

 ちっともチャラい映画なんかじゃないでしょう。

● 演技
 演技では、主役ジョン・トラボルタの魅力につきる。
 ダンスも芝居も、ずば抜けて上手いということではないけど、なぜか目が吸い寄せられる。存在感あるいはオーラというより、強烈な磁力の持ち主だな。

 といっても演技が下手ということではない。世間での評判も、『キャリー』のいじめっ子役とこの映画との間に『プラスチックの中の青春(原題:The Boy in the Plastic Bubble)』の主演になったとおり、当時から演技もできるとみなされていたのだ。
 この映画の中では、例えば、冒頭の能天気にナンパしながら街を歩く姿と、終盤の打ちひしがれて地下鉄の駅を歩く姿など、全くといってもいいほど別人になっていて、役の作りがきっちりしてるとわかる。
 感情をはっきり出すような場面よりも、さりげなく動くような場面の時に光るものを感じることが多いみたいだ。

● お薦め
 曲の多くはビージーズ。
 1967年に『マサチューセッツ』や『ホリデイ』が大ヒットし、僕は両曲とも何百回、聴いたことやら。1971年にはメルヘンのような『小さな恋のメロディ』で話題になり、その後、消えたと思っていたら、ソウル感いっぱいのディスコ・サウンドで復活し、本当にびっくり。

 彼らの曲とともに、この映画は時代を超えて必見の一本だろう。


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