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zoom RSS 映画の感想文 [1115] ダンケルク

<<   作成日時 : 2017/09/14 00:19   >>

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【ダンケルク】
原題:Dunkirk
製作国:英国、米国、仏国、オランダ
製作年:2017年
日本公開:2017年9月
監督:Christopher Nolan(クリストファー・ノーラン)
出演:Fionn Whitehead(フィン・ホワイトヘッド), Tom Hardy(トム・ハーディ), Mark Rylance(マーク・ライランス)

===== あらすじ(途中まで) =====
 第二次世界大戦初頭。40万を超える連合軍はダンケルクの海岸に追い詰められ、敵に包囲されて全滅寸前の状況だった。
 英国陸軍のトミー二等兵は、所属する部隊が全滅し、ようやくダンケルクの海岸に辿り着いた。広い砂浜には救出を待つ兵たちがいくつもの列を作り、小さな桟橋は船に乗り込む順番待ちで埋め尽くされていた。しかし、空からは急降下爆撃機、海からはUボートの攻撃を受け、英国までのわずかな海峡を渡るのは容易なことではなかった。
 英国空軍のファリアは、スピットファイアでダンケルクへ出撃した。途中で敵の爆撃機とメッサーシュミットに遭遇し、何機かを撃ち墜とすものの、隊長機は撃墜され、僚友コリンズも被弾して海上に不時着してしまった。ファリアはさらに爆撃機を追おうとするが、燃料は残りわずかになっていた。
 英海軍は、一人でも多く救出するため、民間の船を数多く徴用した。退役軍人のドーソンは自らヨットを操縦し、息子のピーターとその友人ジョージとともに、ダンケルクを目指した。途中、沈没寸前の船にただ一人生存していた兵士を救い、さらに頭上の空中戦で被弾して着水したスピットファイアのパイロットを救出した。

===== 感想 =====

● 1週間と1日と1時間
 映画の冒頭、桟橋や海や空の映像とともに、それぞれ1週間、1日、1時間という字幕が出る。この映画は、三つの場所における三つの時間軸で話が進行し、それらが次第に絡み合ってくるというもの。
 いわゆる時制や場所がピョンピョン飛び回るタイプで、こうした語り口は擬似ミステリー仕立てにするような狙いの場合は、ただの卑怯技としか思えないが、そうする必然性が納得できれば、テーマやメッセージが鮮明に浮かび上がることになる。

 この映画が語りたいこと――
  一つは極限状態の人間の在り様
  もう一つは事実の多面性
 ではないかな。

 これらは、後述のとおり、三つの場所のそれぞれの主役、トミー、ドーソン、ファリアの描写をしっかり見ることで感じられると思う。

● 顔の見えない敵
 その前に、彼らの置かれた状況を再確認する必要がある。
 ただし、ダンケルクの撤退という戦争そのものの史実についてではなく、この映画の世界における状況に注目だ。

 トミーたちは敵に追い詰められている。
 実は、この映画において、ドイツ兵の様子は、はっきりとは映らない。姿が見えないわけではないが、顔が明瞭に見えるようなカットはない。しかも冒頭の字幕では「敵(enemy)」となっていて、ドイツやナチスなどの固有名詞は登場しない。

 この映画で主役たちに襲いかかるのは、ドイツ軍ではなく、もっと漠然とした「敵」なのだ。(*1)
 顔は良く見えないが、陸では圧倒的な火力でひたひたと押し寄せ、海では潜んで魚雷を放ち、空からは爆撃や機銃掃射を浴びせる。救出の船は次々と沈められ、海岸に並んだ兵は為す術もなく砂浜に伏せるだけ。

 こちらが一方的にやられるだけという敵の存在――こうした絶望的な極限状態において、死への恐怖や生へのエゴが垣間見えることになる。

● 海岸の兵隊
 街から海岸に辿りついたトミーは、船を待つ兵たちの列に並ぶ。ところが最初に並んだ列は近衛兵専用の列だった。トミーはすぐに追い払われる。
 撤退に当たって船に乗る優先順位があり、それは傷病兵を優先するだけでなく、エリート部隊の近衛隊を優先するというものらしい。その後に英軍のその他の部隊が続き、フランス兵はさらに後回し。
 平和ボケの僕らには理不尽なように見えるけど、戦場の修羅場においては、冷徹な合理性が貫かれることになる。

 そうした状況下、トミーたちは何とか故国(ホーム)へ帰還しようとする。だが何度も船の沈没に遭遇し、そのたびに生きるか死ぬか紙一重のところを潜り抜け、ようやくのことで生存し続ける。このとき、すぐ目の前で何人もの仲間が死ぬが、助けることはできず、終盤には先ほどの冷徹な合理性で一人の仲間を犠牲にしようとまでする。

 こうした体験を経て、トミーたちは、自分たちは惨めな敗残兵だと自己嫌悪するが、故国における評価はまったく違っていた。
 このことについて、戦場の真実を知る者と知らない者の違いなどと、寝ぼけたベタな感想を持ってはいけない。次に述べるドーソンが典型例だが、故国にいる年配者の多くは戦争に詳しいのだ。恐らくは第一次世界大戦の経験者で、塹壕戦・毒ガス戦などのもっと悲惨な戦場の体験者のはずだ。戦場の不条理など百も承知。兵の生き死には運次第、多くの仲間を見殺しにせざるをえず、さらには冷徹な合理性に心を痛めることなど、十分に想定内なのだ。
 それでも、彼らはトミーたちを称賛する。
 絶望的な状況での判断と、冷静な状況での評価とは、異なるものということだな。

 トミー役はフィン・ホワイトヘッド。ナイーブな感じが良かったな。

● 海の退役軍人
 ドーソンは誰に頼まれるでもなく、自分のヨットで自らダンケルクへ向かう。勝手について来たジョージに言うとおり、そこが戦場で自分自身の生死を賭けた救出だということは覚悟の上。だからジョージが死んでも、悲しみこそすれ動揺することはなく、後悔の言葉もない。
 そして、ドーソンは既に息子を一人戦争で失っていたことが終盤に明かされる。

 ドーソンは戦争の悲惨を自ら体験していたし、家族を戦争で失くす悲しみや苦しみも良く知っている。だからこそ、一人でもダンケルクにいる兵隊を助けたかったのだろう。

 軍人ではないけど、戦争そのものに深く関わる人物。
 現在は軍人ではないけど、戦争そのものを良く知る人物。
 こうしたキャラを置くことによって、この映画はかなり特徴的な作品になったと思うよ。

 演じるのはマーク・ライランス。ダンケルクにいる若い兵隊たちすべての親世代の代表という風情。かなり印象に残る。

● 空の兵隊
 ファリアは腕のいい戦闘機乗りだ。巧みにスピットファイアを操り、爆撃機やメッサーシュミットを撃墜した。燃料が帰りの分だけになったら、そこで戦闘を打ち切れと命令されていたのだが、爆撃機が味方を攻撃するのを見て、帰投すべきかどうか迷う。

 彼は爆撃の目撃者だ。海上の船が一方的に攻撃を受けるところを目の当たりにする。それも上空から俯瞰するわけで、絶望的な状況であることを広い視野で確認する。
 この映画は、沈没寸前で浸水する船内の閉塞的な状況を描写する一方で、同時に空と海が一体となったような広い空間での状況を描写する。どちらも同じ出来事なのだが、視点が全く異なる。
 上下に広いアングルと閉塞空間の対比――映像上の最大の特徴が表れているところだと思う。

 そしてコクピットは、もうひとつの閉塞空間だ。単に狭いというだけでなく、時には中の人間を閉じ込めることもあると、この映画の中で描かれている。
 というわけで、ファリアの映像は、ほとんどコクピット内の顔のアップになる。それもゴーグルとマスクを装着。終盤に全身が映り、マスクも外すけどね。

 トム・ハーディがマスク――マッドマックスじゃん――なんて思ったりして。

● スピットファイア
 空中戦の映像はなかなか秀逸。と言っても空撮の技術がどうたらとかではなく、映像表現の中身そのものがすごい。つまり、空中戦や不時着シーンなどにおいて、スピットファイア特有の、妙にふわふわした動きの感覚が、「いかにも!」な感じなんだよね。

 ついでに。
 この監督、音響に凝るのは、いつもどおり。今回は、映像の背後に秒を刻む音が流れる場面があって、これがすごくマッチしてた。

● 風変わり
 有名な戦場を題材にした、ちょっと風変わりな映画。
 監督の個性が空回り気味ではあるものの、海と空に向かった空間の描写は、一度見てもいいんじゃないかな。


(*1) だからダンケルクの史実の蘊蓄自慢など、この映画ではお呼びでない。
 ジャン=ポール・ベルモンドの『ダンケルク』(1964年)と比較するのも、意味ないからね。話はまるで違うし、色っぽい姉ちゃんが足で誘惑するなんてシーンもないし。

画像

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