映画の感想文 [346] 告白

【告白】
公開:2010年6月
監督:中島哲也
出演:松たか子、岡田将生、木村佳乃

=== あらすじ(途中まで) ===
 3月25日、富丘第三中学校の終業式当日。1年B組の教室では、月末に教師を退職する担任の森口悠子が、生徒たちに話をしていた。
 数ヶ月前に学校のプールで事故死した自分の娘・愛美が、実はクラスの生徒によって殺されたというのだ。彼女は犯人の名前こそ口にしなかったが、話の内容から渡辺修哉と下村直樹の二人だということは容易に知ることができた。さらに森口は、二人が飲んだ牛乳にエイズで亡くなった愛美の父の血を混ぜておいたと告げ、最後のホームルームを終えた。
 2年生になって直樹は自宅に引きこもってしまい、修哉はクラスのほぼ全員からいじめを受けるようになる。新しい担任の寺田良輝は事件のことを知らず、クラス委員の北原美月と一緒に、毎週、直樹の家を訪ねるが、直樹は決して会おうとはしなかった。
 やがて、修哉のいじめに参加しない美月も、いじめの標的になった。

=== 感想(完全ネタバレ) ===

● 反省
 予告や紹介記事を見て、「かったるい映画」という印象を持っていたけれど、完全な食わず嫌い。DVDで観たら、かなりタイプな映画だった。
 僕はこれまでピントのズレた予告や紹介記事に騙されて、優れた映画を見逃すという愚行を何度も何度も繰り返してきたのだが、ちっとも成長していない。
 反省せねば。

 というわけで、もうやけくそで、完全ネタバレに近い感想を書きなぐります。
 だから映画を観てない人は、読んじゃダメだからね!

● 双璧
 2010年の邦画は、この映画と9月に公開された『悪人』が、ちょうど比較しあうように話題になった。どちらも傑作で、しかも現代社会の病理のようなものを題材としているということらしい。
 大雑把にいえば、役者の演技は『悪人』のほうが優れている。主役も脇役もあらかた有名俳優ばかりで、しかも主要な役を演じる役者はすごく熱がこもっているからだ。後に主演や助演などの俳優賞を総嘗めにしたのも、ほぼ納得(*1)。
 一方、『告白』では、松たか子や岡田将生といった名優の芝居は光るけど、場面の半分以上を演じているのは生徒役の子役たちで、単純に演技を比較されるとどうしても劣ってしまう。まあ、致し方ないよね。
 しかし、話の面白さや映像の密度の濃さは、こちらのほうが上回る。いわゆる作品賞、脚本賞、監督賞といった分野ではこちらだろう。
 特に一つ一つの場面がものすごく濃密という印象を強く受ける(詳しくは後述)。
 トータルでみると、『告白』のほうが、はるかに僕の好みに合う映画ということになる。

● 構成
 この映画は約103分の長さが、おおよそ4つのパートに分かれている。

 最初の30分は、すべて森口の告白によって、愛美の殺人事件のあらましと牛乳を使った復讐が語られる。森口が、教卓を叩くように本をそろえながら告白を終えることによって、このパートは終わる。

 次の30分は、主に美月の告白によって、2年生になったB組、特に修哉と直樹の様子が語られる。さらに修哉と美月はキスしあうような関係になっていくが、修哉が「可愛い玩具」を解体するシーンで、このパートは終わる。

 次の25分は、何人かの語り手が交互に告白するのだが、半分近くは修哉と直樹の言葉によって、愛美の殺人の真相が明らかになっていく。
 夜のファミレスで美月と別れた森口が号泣したあと、すくっと立ち上がって「馬鹿馬鹿しい」と言ったところでこのパートは終わる。実は、後述のとおり、このシーンは森口が最後の復讐を実行する決意を固めたことを表現している。

 残りの20分弱は、修哉の最後の企みと、森口の最後の復讐を描くものだ。

● 主役とテーマ
 この映画も『悪人』同様、主役がわかりにくい。
 映画の中盤になると、森口はほとんど登場しない。登場時間の長さからいえば、修哉と美月のほうが長いんじゃないかな。
 でも、彼ら二人も完全に森口に操られているわけで、やはり主役は森口というべきなのだろう。

 実はテーマも少しわかりにくい。
 いじめの場面が多く、エイズや少年犯罪(特に酒鬼薔薇聖斗を彷彿させるような犯罪)、あるいはネットを通じた犯罪など、現代的な色付けはあるけれど、こうした要素はあまり本質的なことではなさそうだ。
 この映画のメッセージを素直に受けとめれば「命」ということになるのだろう。だけど、罪悪感や親子愛のようなものがテーマだとみる人もいるかもしれない。
 まあ、それもありかな。

● いじめの構図
 この映画では、全編を通じていじめが描かれる。ただし、その構図は話の経過とともに変わっていく。
 最初は、前川と(おそらく)田中が水野をいじめ、それを星野が嫌悪するという構図だ。
 2年生になってからは、美月を除くクラス全員が修哉をいじめるようになる。いじめを嫌悪していた星野が修哉に牛乳を投げつけ(38分30秒あたり)、愛美の死に涙を流した内藤由香里と松川早紀も修哉の下駄箱にゴミを詰め(40分30秒あたり)、それまでいじめられっ子だった水野までもがいじめに参加する(44分あたり)。
 そして美月もいじめの対象になり、修哉と強制キスをさせられる(45分30秒あたり)。
 直樹に対しては、縦読みで「人殺し死ね」と書いた寄せ書きを送りつける。
 やがて修哉がある方法で逆襲すると、彼と美月へのいじめは止む。その代わりに水野が再びいじめられっ子に逆戻りし、屋上で前川たちに腹を蹴られる(58分50秒あたり)。
 いじめは続く。

 しかし、この映画はいじめ問題を取り上げようとするものではない。生徒が犯した一番重い罪は幼児殺人及び級友の殺人であって、いじめではない。この映画が採り上げようとしているテーマは、やはり「命」だ。
 では、何故、これほど数多くのいじめ場面が描かれるのか?
 最初から最後まで、執拗にいじめが行われ続けるのはなぜか?

 おそらく、いじめの描写は、この事件に対する今どきの中学生の反応を描こうとしただけなのだろう。
 美月がはっきりと答を言っている。生徒たちはクラスで起こった問題にきちんと向き合うことができず、他人がいる場は明るく取り繕うことで現実逃避をし、自分たちだけの場ではいじめによってストレスを発散し、免罪の気分になることで現実逃避をしているのだ。
 星野は修哉に牛乳をぶつけて「全然反省してねえだろ」と怒るが、僕なら「お前だって(事件を隠蔽することで)逃避しているじゃねえか」と突っ込むところだ。

 彼らの精神は、おそろしく幼稚だ。しかし、それが現代の中学生。
 その現象がいじめということなのだろう。

● KYの愚
 同じようなネタとして、寺田良輝の評価がある。
 彼は事件のことを知らず、自分の信念に基づく言動により、かえって問題をこじらせ、特に直樹を破滅へと追い込んでしまった。
 おそらくいまどきの中学生の評価は、「KYな奴」ということなのだろう。

 しかし彼の言動は、「KY(空気読めない)」といったような安直なバズワード(buzzword)でくくるべきではない。
 彼がクラスの空気を読んでウザイ言動を止めたところで、問題は何も解決しない。直樹が立ち直ることはないだろうし、結局は修哉も破綻する運命を突き進むだけだ。いずれ空気を読んだ生徒も教師もまとめて殺戮を受けることになる。
 KYなんぞというバズワードで問題を棚上げして爆死――滑稽な話だが、それが「空気を読む」ことの末路だ。

 寺田良輝が読むべきは、空気ではなく、真実だ
 より正しく、寺田良輝は「真実を読めない奴」というべきなのだ。彼は生徒たちの行動に違和感を感じても、その原因を正しく把握しようとせず、勝手な思い込みで事を決めつけてしまう。
 彼の言動に対してKYといった言葉で安易に結論付けて思考停止してはいけない。

● 役者
 森口を演じた松たか子は、さすがだ。
 最初の30分は彼女一人の告白ですべてをもたせているようなもので、この監督特有の映像が絡むとはいえ、観ている側のテンションがまったく下がらないのはすごいというほかない。

 例えば、彼女の話の中で、真相を知られた修哉が窓から飛び降りるふりをして「なーんてね」と言った時の森口の表情――驚きと当惑と怒りと、そして目の前にいる少年への復讐の思いが高まった表情(20分あたり)。
 すごい。

 映画の後半では最高の芝居を演じる――既に述べた「馬鹿馬鹿しい」と言うシーンだ(86分あたり)。
 森口は、ファミレスで美月と話すうちに、ためらいや迷いを見せるが、幸せそうな家族客の様子に気づき、自分の思いを新たにする。美月の話から修哉の弱点が母親であることを知り、そして店を出て号泣したあと、立ちあがって、あの台詞を言うのだ。
 最初に観たときは巧い芝居だなと思うだけだったけど、2度目に観たときは、その深い意味も分かっているので、彼女の表情にちょっと背筋が寒くなってしまった。
 まさに戦慄の演技!
 ある意味、ここが真のクライマックスだろう。(*2)

 僕はつねづねリンチや復讐はいけないことと言っているが、この映画はまさにそれを描いている。そもそも「いけないこと」を観客に共感させるかのように描けるからこそフィクションなわけで、それをどう描くかが重要なのだ。この映画では、森口が号泣するシーンを描くことで復讐やリンチが罪であることを表現し、彼女が立ち上がることで罪を犯す覚悟を表現しているわけだ。
 松たか子の芝居は、森口が復讐を最後まで貫徹することを、僕等に納得させてしまうだけの力がある。
 すげえ!
 (もちろん、映画が終われば、そんな非道を納得し共感してしまった自分自身に自省の念が働くことになる。復讐やリンチはいけないとベタな台詞を言うより、はるかに効果的なのだ。)

 女優では、美月役の橋本愛の魅力にびっくり。特に目がすごい。かつての宝生舞に似ている感じだけど、存在感はもっと強い。
 芝居の出来はともかく、彼女が画面のどこかに映っているだけで絵の雰囲気がまるっきり異なってくるのだから、驚嘆ものだ。

 男性では、修哉を演じた西井幸人が頑張ってる。こちらは山田涼介にちょっと雰囲気が似てるけど、少し個性が薄いかな。
 映画の終盤、修哉は強烈なマザコンだったという正体がばれるのだが、機械いじりや電子工作が得意なマザコンというのは、実はちょっとイメージしにくくて、その分、難しい役だったのかもしれない。
 (理系のモノヅクリが好きな連中というのは、どちらかというと両親をけむたがる傾向があるような……。気のせいか。)
 修哉の口癖の「なーんてね」とか(特に20分あたりと89分あたり)、「(命は)軽いでーす」(84分あたり)の台詞は、すごくいいと思う。

 いじめっ子の前川役の井之脇海も特筆もの。
 本来はものすごく嫌な奴の役なのに、どこか憎めないんだよね。一種独特のかわいらしさのような雰囲気を持っている不思議な役者。おそらくこの映画のリリカルなトーンを維持しつつイジメを描くために、監督は彼のキャラクターを必要としたのではないかな。

 なお、岡田将生が、この映画では能天気な教師、冒頭で比較した『悪人』では無神経な学生というぐあいに、どちらもある意味、自己中な役を演じている。しかもどちらも嫌われ役……なのに、何となく爽やかさがある。彼も不思議な役者だ。
 『重力ピエロ』の春から好きになってきたんだけど、もっと伸びるのが楽しみ。

● 音楽
 この映画は音楽もすごく良い。
 一番印象に残るのは、テーマ曲ではなく、大昔のK.C.サンシャインバンドの『ザッツ・ザ・ウェイ』で、これがたまらなく懐かしい。生徒たちが踊るシーンも好き。もうちょっと長ければいいのにと思うくらいだ。
 そして映画の全体にわたって、BGMが低く響き続けている。同じようなメロディの繰り返しが多いらしく、それが様々な告白の緊張感を高めるのに、ものすごく効果的だ。
 エンディングも余韻のあるピアノで、Good!

● 台詞と映像のシンクロ
 この映画の最大の特徴は、一つ一つの場面が濃密ということだが、具体的には台詞の細かなフレーズと映像とのシンクロだろう。
 告白というだけあって台詞が多く、またその言葉は練りに練られているのだが、映像も言葉をそのまま表現する絵になっていることが多い。そうした細かなカットの積み重ねで、告白のイメージが映像的に膨らむように工夫されているわけだ。

 例えば、冒頭の5分30秒あたり。森口が生徒たちに向かって「あなたがたは嘘をつくのが実に上手ですから」という言葉にかぶせるように、携帯メールで呼び出された水野雄人が保険室へ行くと嘘を言って屋上へ上がる。
 こうした絵が数多く積み上げられていく。

 もう一つ例を挙げれば、「有意義」な泥水も注目だ。
 森口が告白するときは激しい雨が降る。
 一度めは教室で告白しているとき。彼女が「今月一杯で教師の仕事を辞めます」と言うと暗雲が空をおおい始め、「犯人は二人」と言うと同時に雷鳴が響く。帰宅する女子生徒たちが校庭にできた泥水の水溜りで飛び跳ねて「有意義な春休み」が始まり、やがて修哉イジメをするようになる。
 二度めはファミレスで美月に告白しているとき。森口は店を出た後、水溜りを踏み越えて通りを歩き、号泣するシーンにつながる。
 この映画では、泥水の水溜りを踏むというのは、「有意義な」、しかし汚れた行為の始まりを象徴するのだろう。
 いずれにしろ、液体(牛乳と血液、プールと泥水)にこだわりのある映画なのだ。

 ついでに気味の悪い例。「可愛い玩具」について。
 「可愛い玩具」は、修哉の部屋の床に寝そべってパソコンを打つとき、足をパタパタさせる癖がある――あたかも、履いているストッキングが目立つように。そして「可愛い玩具」は、仰向けに引きずられるときはストッキングを履いているが、「解体」されるときはストッキングを履いていない。もしかしたら全裸にされたのかもしれない。

 まあ、これだけならよくある話。しかし重要なのは方法論ではなくセンス。
 この監督は、こうした映像表現のセンスが天才的。『下妻物語』や『パコと~』のような分かりやすいシュールなものではないけれど、一つ一つを丁寧に見ると、ほんと楽しくて飽きがこない。
 全体的に色合いを抑え、スローモーションや早送りを多用し、感傷的でロマンチックな場面では逆光や炎を巧みに使ったりと、技巧的なところもすごくうまくて、しかも臭みがない。

 いちいち文章で書くのもかったるいので、あといくつかの例を、絵といっしょに記述することにした。
 今回は、自分の愚かさの反省も込めて、少し多めに用意してま~す。

 一応、最後の最後のオチだけ書いておくね。(もう、ほんとヤケクソ)
 修哉の最後の望みは時間が逆戻りすることだった――元々は母に戻ってきてほしいから、今となっては生きていてほしいから――。彼が作った逆回り時計がその伏線だ。しかし、母の涙は上から下へ流れる。時間は逆戻りしてはくれなかったのだ。
 あれほど望んでいたはずの、自分を思う母の涙をようやく見たというのに……。

 「なーんてね」(*3)

● 傑作
 何度も繰り返して観たい映画。
 もしかすると、ここ数年のベストかも。


橋本愛が出演する映画の感想
 ⇒ 管制塔
 ⇒ アバター
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(*1) 主演女優賞は、『悪人』の深津絵里で順当だと思うが、この映画の「馬鹿馬鹿しい」の数分間の芝居だけで、松たか子が獲るのもありだと思う。

(*2) 森口は何が「馬鹿馬鹿しい」のだろう。色々な解釈がありうる。
 ・美月から聞かされた修哉の不幸な境遇が馬鹿馬鹿しい
 ・そんな話のせいで一瞬ためらいを感じた自分自身が馬鹿馬鹿しい
 ・これから自分がしようとしていることが馬鹿馬鹿しい
 ・この忌まわしい事件のすべてが馬鹿馬鹿しい
 ・不条理な世の中すべてが馬鹿馬鹿しい、……
などなど。
 おそらくこれらのどれかということではなく、すべてだろう。号泣した彼女の頭の中では様々な思いが渦を巻くが、一つの決心をして立ち上がったとき、すべてに対して馬鹿馬鹿しいと吐き捨てたのだと思う。 

(*3) 森口の最後の「なーんてね」も解釈が難しい。
 予告編でおなじみの「ドッカーン」の現場シーンは、すべて修哉の想像又は幻視として描かれていて、森口は本当にドッカーンしたのだろうかと、観客が疑問を抱くようになっているからだ。この方法では無関係な者も巻き込んでしまうし……。
 ただ一つ言えることは、森口は彼女の復讐によって直樹の母が死に至ったことについて、罪悪感を示すことはなかった。修哉の母が死ぬことになっても、重い罪悪感を抱くことなどないだろう。

⇒ 不完全な1年B組の座席表

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バトルロワイヤル風の集合写真
中列右から6人めが橋本愛
後列右から5人めは能年玲奈
後の『あまちゃん』コンビだ。

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佐々木真樹からのメール 《森口がすッごい事話してるよぉ》
前川 (水野をいじめるより楽しいかな?)

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修哉(飛び降りるふりをして) 「なーんてね」
森口 (こいつ、ぜってー、同じ目にあわせてやる)
⇒ 「なーんてね」(森口のラストのセリフ)

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「有意義な春休み」の始まり

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水野雄人と蝶――小さな「命」を感じる

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♪ That's the way、あ、はははん、
  I like it、あ、はははん

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人はみんな、
孤独じゃない。
ロクでもない世の中だけど、
しあわせになろう。
しんじよう。
ネバーギブアップ。
(縦読み)……イエ~!

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修哉 「僕の命は軽いけど、君のは重いから」
⇒ こんなキザな告白を聞いたら、
  たいていの女子は落ちてしまうかも。
⇒ しかし、その言葉の真意は「暇つぶし」

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夕日

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修哉 「ずっと独りだった」

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鏡の中の美月 「ルナシーはね、もう一人の私なの」

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修哉 「可愛い玩具はバラバラに解体」
(なお、画面やや右寄りで『逆周り時計』だけが目立つ)


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直樹 「まだキスも、エッチもしたことないのに!」

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美月 「マザコン!」

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森口 「馬鹿馬鹿しい」

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母の涙が上から下へ落ちる
⇒ 時間は逆戻りしてくれなかった


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まあ、評論やレビューといったほどのものではございませんが。