映画の感想文 [968] シン・ゴジラ

【シン・ゴジラ】
製作年:2016年
公開:2016年7月
監督:庵野秀明、樋口真嗣
出演:長谷川博己、石原さとみ

===== あらすじ(途中まで) =====
 東京湾に未知の巨大生物が出現し、蒲田付近に上陸した。巨大生物は街を破壊しながら品川方面へ進み、途中、2回ほど進化をするかのように姿を変えた。およそ想定外の事態に政府の対応は遅れ、ようやく大河内総理の決断で自衛隊が出動し、コブラで攻撃するものの全く効果がない。しかし、巨大生物は突如北上を止め、東京湾へ消え去ってしまった。
 再度の出現に備えて内閣に対策本部が設置された。その事務局長に任命された内閣官房副長官・矢口は、各省庁からメンバーを集め、情報の収集・分析と「駆除」方法の研究を開始した。米国からは大統領特使のカヨコ・アン・パタースンが派遣され、緊密な情報交換を行うことになった。矢口たちは失踪した学者の遺留品から巨大生物が放射能汚染によって進化した古代生物と突き止め、ゴジラと名前をつけた。
 再びゴジラが出現した。鎌倉の稲村ケ崎から上陸して都心部へ向かっている。その身長は100mを超え、以前よりも倍近く巨大化していた。自衛隊は陸海空の総力を挙げて多摩川で阻止する作戦を立てるが、まったく歯が立たない。その夜、今度は米軍がB-2やMOP(貫通弾)を使って攻撃するが、ゴジラは口と背中から火炎や光線を放射し、周囲に飛翔するものをすべて破壊するだけでなく、あたり一帯を焼き払ってしまった。
 この攻撃により総理大臣ら多くの者が死亡し、政府機関は立川へ避難せざるをえなくなった。やがて、エネルギーを使い果たしたのか、ゴジラの動きは止まるが、10日ほどで活動が再開するものと予想された。矢口たちは、ゴジラを体内から冷却することでその動きを完全に止めることができると突き止めるが、必要なだけの冷却材を製造するには10日以上の日数が必要だった。
 そのころ、国連では熱核兵器を使用することが決定された。もはや猶予はない。日本政府は外交工作で時間稼ぎをしつつ、残された時間の中でゴジラを凍結すべく、「ヤシオリ作戦」を発動した。

===== 感想 =====

● リアル・ゴジラ
 僕は『シン・ゴジラ』の「シン」の意味が謎だった。まさか「新」ではあるまい。そこで実際に映画を見た印象では、どうも「真」という意味のように思えた。真実の「真」だ。
 この映画、おそらくこれまでのゴジラ映画の中で、最もリアリティが高いのではないかな。もちろん「体内の核分裂をエネルギー源とする巨大生物」なんてのはリアリティがおよそ低いのだが、そうしたゴジラの絶対条件だけを除けば、ほかの要素はほぼリアルという感じなのだ。
 政府の危機管理の対応、やたら○○会議の段階を踏むまどろっこしさ、行動計画をいちいち文書の形式で立案・決裁する事務手続き、自衛隊内の指揮・報告の系統、そして実際の作戦行動などなど、かなり入念にリサーチし、それなりの考証を踏まえたうえでのシナリオだろう。
(まあ、軍事に詳しい人が見れば、兵器や自衛隊の行動などに細かな間違いが山のようにあるのだろう。それをいちいち指摘して小馬鹿にしたがるタイプ――ゴミ箱の隅を突くような粗探しが好きな人には、嘘っぱちの映画だろうね。)

● 誰のための真ゴジラなのか
 しかし、これほどリアリティを追及して、いったい誰にこの映画を見せたかったのだろう?
 おそらく多くのゴジラ・ファンは、ゴジラが縦横無尽に暴れ回り、街を壊し、逃げ遅れたアホな住民の顔を引きつらせ、軍隊や自衛隊を瞬殺し、ライバルとなる巨大モンスターと近接で格闘し、最後は壮絶バトルでオチがつくといった内容を期待しているのではないかな。
 この映画、そうした要素がやや薄い。鎌倉、横浜、川崎、大田、品川、千代田といったあたりは甚大な被害を受け、住民や自衛隊に多くの犠牲者が出るが、ライバルとなるモンスターは出現しないし、最後の決着は壮絶バトルどころか、ブルドーザーとポンプ車とタンクローリーが活躍する地味~なもの。むしろ、人間側の対処の様子、特に政府の組織や命令系統の様子がこってりと描かれている。映画の中盤がつまらないと思う人も多いんじゃないか。

 僕は馬鹿なので、これまでとは趣向が違う映画を作ったんだねと素直に受け入れてしまうし、中盤のゴジラがほとんど動かない時間帯も、それなりにリアルなドラマとして興味深く観てしまった。
 端的に言って、僕はこうした趣向も面白いと感じたけど、恐らく観客の中では少数派だと思うよ。

● シビリアン・コントロールの代償
 制作側がどこまで意図していたのかはわからないけれど、今回、僕が一番考えさせられたのは、シビリアン・コントロールの代償だ。
 シビリアン・コントロール(文民統制)とは、文民の政治家が軍隊を統制するという思想のこと。日本では、まず、文民の総理大臣が自衛隊を統制することが基本だが、それだけでは独裁になりかねないので、総理大臣の意思決定を様々な立場でチェックし抑制するということが必要になる(*1)。

 映画の中で、内閣官房の秘書官たちが、迅速な対応が必要な事態なのに、会議をいくつも経ないといけないと嘆き、それが民主主義のために必要なんだと語る場面があったと思う。
 これって、まさにシビリアン・コントロールの代償だよね。政府が何かを決定するには時間がかかり、その間に多くの犠牲者が生じてしまうのだが、だからといって総理大臣にすぐに全権を委ねるような法制度では非常に危険ということだ。秘書官たちが嘆いているとき、おそらく何百、何千という国民が死んでいると思うけど、それが独裁を防ぐための民主主義の代償ということになる。
 理屈ではわかっても、辛いものだな。

 実はこの映画では、人間個人としてはもっとつらい代償が描かれる。
 終盤のヤシオリ作戦において、矢口自らが現地(=戦場)に出向き、文民の立場での指揮を執る。それは作戦の責任を一身に背負うということ。この覚悟は並大抵のことではない。
 そして、自分たちが見ている前で、凍結作業を行っていた部隊が瞬時にゴジラに焼き殺されるという事態が生じるのだが、矢口は一度は悲痛な顔をするものの、すぐに作戦続行を命じる。この時の矢口の心境はいかばかりか。
 この場は文民が作戦続行を指示しなければいけない局面。矢口の心がその代償になったということだ。

 このシーンを監督兼脚本兼編集の庵野がもう少しだけ丁寧に編集してくれれば、僕はこの映画を大傑作と絶賛したかも。

● 俯瞰と息抜き
 ゴジラについては、まずは造形。まあ、良かったんじゃないか。

 映像的には、今回のゴジラの絵は、アップよりも引いたアングルが映えると感じた。
 噂通り、『巨神兵東京に現わる』(2012年)に似てる。その小品では25分の1スケールの街のミニチュアとグリーンバックで撮った巨神兵のパペットとを重ねたらしいが、今回は恐らく空撮写真などを3D化して広いエリアの市街地の俯瞰をスクリーン上に再現し、そこにゴジラを歩かせているみたい。
 その効果はかなりのリアリティを生み出していて、制作陣、渾身のこだわりを感じる。これは必見。

 自衛隊の兵器などは、実写とCGをうまく組み合わせているみたい。
 すげえなと思うのは、やはり10(ヒトマル。10式戦車)の動き。砲塔をピクリとも動かさずに、車体が反転する。できれば走行しながら車体や砲塔がぶれても砲身がぴたりと照準したままで射撃するという、ある意味、変態的に気持ち悪いほど感動する映像も欲しかったな。少しでも戦争反対の気持ちがある人には珍しい映像ではないけど、口だけ反戦の方々はこうした映像に驚くんじゃないか。
 ついでに、御殿場から多摩川のゴジラの顔をピンポイントに狙うという距離感ももう少し丁寧に描いてほしかった。約100kmほどの距離に過ぎないけど、やはり口だけ反戦の方々はこうした映像に驚くんじゃないか。

 この映画、ギャグ的要素はものすごく少ない。かなりまじめなのだ。
 そうした中で、唯一笑えるのは、臨時で総理大臣となった里見の最後のポーズ。政府関係者の対処の様子をリアルに描いたことの集大成として、実に日本的なオチをつけて、皮肉な笑いの場面を作ってくれた。かなり良質な息抜きになったと思うよ。

● おばんざい
 出演者はものすごく多い。

 主役の矢口とカヨコを演じるのは長谷川博己と石原さとみ。監督の樋口真嗣のもとでの『進撃の巨人』の変態コンビだな。今回はデフォルメした大げさな芝居などせず、ものすごくシリアスに演ってる。例によって台詞棒読みなんて難癖があるけど、そんな奴は、アニメや半島映画の臭いほどに喜怒哀楽が大げさな芝居の見すぎだっての。
 『進撃の巨人』つながりでは、統合幕僚長役に國村隼。なんか胡散臭いけど、やはり今回はシリアス。

 政府関係で光るのは、前半は防衛大臣役の余貴美子。度胸の座った女の強さと恐さが迫力もの。
 後半は臨時総理里美の役の平泉成。里美というのは年功序列・派閥政治のシンボルのような総理。ところがいざとなれば、やることはやる――彼なりの不器用な方法で。平泉成の味が生きてたな。
 役者の個性ということでは、すぐに悲観的になる脱力系で心配性の文部科学大臣役に手塚とおる。すごく合ってる。
 矢口の部下の中では、文部科学省から来た官僚役の高橋一生が一番目立ってるように感じた。

 これ以外にも、カメオ的な出演がぞろぞろ。今、ぱっと顔が思い浮かんだだけでも、自衛隊関係では(おそらく多摩川の浅間神社に設営された司令部の)部隊長にピエール瀧、ヒトマルの車長に斎藤工、東部方面総監に小林隆(真田丸の片桐さん)、官邸職員に片桐はいり、東京都知事に光石研、消防隊に小出恵介、記者に三浦貴大、避難する住民に前田敦子などなど。
 また、生物学者はすべて映画監督で、役立たずの三人組が犬童一心、原一男、緒方明、そして役に立つ生物学者に塚本晋也。

 みんながちょこっとずつ登場。まるで「おばんざい」だな。

● お薦め
 ダメな人にはダメな映画。
 特に、ゴジラ映画はかくあるべし、なんて定型様式にこだわるタイプ(いわゆる水戸黄門大好きタイプ)には全く無理。
 一方、過去の常識に縛られず、自由な発想が楽しめる方なら、お薦め。

 ちなみに僕は、1954年の第1作こそリアルタイムに観てないけど、物心つく頃からゴジラを観ていた世代。数あるゴジラ映画の中で、今回の作品はかなり上のレベルじゃないかと思ってる。
 エンディングは、これらの映画のテーマ。それをわざわざモノラルで流してる。福岡ゴジラの
  ♪ごじら、ごじら、ごじらとめかごじら
   らどん、らどん、らどんとめからどん
   (以下、略)
 これを聞いて涙が出るほどのゴジラ愛があるなら、必見。



(*1) 総理大臣の意思決定をチェックし抑制するのは、議会やマスコミだけでなく国民全体と考えるべきだ。そのために、国民は今どきの軍事や国際情勢をできるだけ学ぶ必要がある。
 ところが最近の平和主義者もどきは、「戦争やだねえ~」で思考停止し、例えばデータリンクも南シナ海のことも知ろうとしない。ろくに条文を見ることすらなく特定秘密保護法(もう忘れたか?)に反対しているようでは、シビリアン・コントロールなどできっこない。
 こいつら、きゅ~じょ~きゅ~じょ~と呪文を唱えるのに不都合な真実から、すぐに目をそらす悪い癖が染み付いてやがる。

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