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zoom RSS 映画の感想文 [1180] 検察側の罪人

<<   作成日時 : 2018/09/06 10:51   >>

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【検察側の罪人】
製作年:2018年
公開:2018年8月
監督:原田眞人
出演:木村拓哉、二宮和也、吉高由里子

===== あらすじ(途中まで) =====
 東京地検刑事部の検事、最上のもとに、若い沖野検事と橘事務官が配属された。
 最上の同期の多くは弁護士になっていて、一番親しい丹野は政治家に転身していたが、最近は闇献金疑惑を追及されている。互いの祖父や父親がかつてのインパール作戦の生き残りという関係もあって、二人には同志的な心情以上の結び付きがあり、最上は密かに丹野に地検特捜部の捜査状況を漏らしていた。
 最上と沖野らは蒲田の老夫婦強盗殺人事件を担当することになった。所轄警察の捜査が進み、青戸刑事らの作った容疑者リストの中に松倉という名があるのを見て、急に最上の様子が変わった。
 20年以上も昔、最上が学生時代に住んでいた寮の管理人の娘久住由季が強姦殺人に遭い、松倉が犯人に間違いと思われたものの、証拠不十分で起訴できず、そのまま時効を迎えるという事件があったからだ。
 最上は今度こそ松倉を罰することができると逸(はや)るが、弓岡という有力な容疑者が浮かび上がってきた。何としても松倉に罪を着せたい最上は、闇の仕事に通じた諏訪部を使って車と拳銃を用意させ、巧みに弓岡を誘い出した。
 ところが最上と丹野との関係を探っていた橘が最上の電話を盗み聞きしていた。
 橘は沖野とともに弓岡が働くラブホテルに潜り込んだ。

===== 感想 =====

 隠れ下ネタの多い映画なので、お子ちゃまは、この感想を読んじゃダメ!

● 検察アクション&コメディ
 検察内部の人間が犯罪を犯すという話。
 厳密には「検察の罪人」とすべきだが、小説や映画のタイトルとしては「検察の罪人」としたほうが、何となく語呂が良さそう。
 だからといって法廷ものではない。というか、法廷での裁判シーンなど一切登場しない。検察と弁護(あるいは被告側)が対立して弁論を戦わせるといった場面があるわけではないのだ。
 ここは、かなりのミスリードで、いわゆる「ほうていくらいむもの」を期待する人は、「えー、こんな話なの」とがっかりするだろうな。

 この映画の主な要素は、検察を舞台にしたアクション&コメディということになる。
 そう見れば、かなり面白い中身だよ。

● アクション担当
 最上役の木村拓哉がガン・アクションを見せてくれる。
 といっても刑事と違って検事が射撃訓練をすることはないので、かなり不格好な拳銃の扱いだ。そうした格好悪い姿を巧みに格好良い芝居で仕上げてしまうのだから、やはり木村拓哉は役者としてタダモノではない。
 検事らしい知的な切れ味なども控えめで、むしろ親しい者が惨殺されたことへの恨みや犯人を裁けなかったことへの悔悟などで、次第に常軌を逸する心情の描写に注力してる感じ。
 また、家庭では家族崩壊というベタな夫兼父親を演じるが、ここでは一度だけウィッグを使ったコメディを演ってる。

 プライベートでは、むしろ同期の政治家丹野(演じるのは平岳大)との関係に注目だろう。
 映画の中で二人が最初に密会するシーンのBGMは『タブー』。カトちゃんの「ちょっとだけよ」でおなじみのエロチックな曲だ。この曲を背景に、ホテルの一室で二人が合う場面になり、ジャンプカットの後、最上が洗面所を使ってる。
 これって口淫の暗示なわけで、つまり木村拓哉が平岳大のチ〇〇を〇〇〇ってる場面を観客が想像するように撮られている。木村も、ロバート・ダウニー・Jrのような汚れをやってみたかったのだろうな。(1987年の『レス・ザン・ゼロ』(Less Than Zero)のことだよ)

● コメディ担当
 コメディを担当するのは、沖野役の二宮和也と橘役の吉高由里子。
 二人だけのシーンの多くは、ほぼコントだったもんね。

 二宮は、現代っ子のような、そうでないような、正義感が有るような、無いような、そんなヌエのような役を淡々とこなした。こちらは、松倉を問い詰めるシーンで『シークレット・アイズ』のニコール・キッドマンを意識した――のかな。熱が入ってるのはここだけだった。
 映画の最後、沖野が立ち去るときに最上は電話してるので、いずれこいつも殺されちまうのかなというオチになってるけど、きっと達観したように淡々と死を迎えるのだろうと想像させてくれる。
 それくらい、二宮は受け身の役柄を演じてた。

 で、橘役の吉高とのラブ・シーンも完全に受け身。
 キスは女性から。
 そして互いの頭と足が逆さまな状態でのベッド・トークというのは、『卒業』(1967年)の有名なシーンのパロディで、二宮が演じる沖野くんは童貞くんだったのね、今夜卒業したのねと想像させてくれる。しかも、こちらは二人の足の位置関係から、対面座位または騎乗位のあとかなと想像させるように撮られてる。
 とことん女性上位で、沖野は受け身なのだ。
 さすがに、ちょっと描写がしつこい感じだな。

 吉高は、朝ドラの花子役からの長い休養を経て、かなりパワーアップして戻ってきたなという感じ。この映画では、少し抑え気味にやってるのに、主役二人を食いかねない出来栄えだ。
 ビジュアルも(最近のCMでも感じることだけど)、一段と美貌にすごみが増してきてる。といっても(さかみちの連中みたいな)俯いた伏目や首を傾げた流し目のスチールだけではなく、動的な映像の中で輝く、女優としての美貌のことだ。
 彼女を美しく撮る監督やしっかりした脚本に巡り合えば、すごい作品が見れそうな気がするけど、今の日本の映画界では淡い期待だな。

● メフィストフェレスのインパール
 映画の中のいろいろな要素を結び付ける重要な糊のような役が諏訪部だ。
 演じるのは松重豊。すごくいい。

 最初の登場シーンは取り調べで沖野をおちょくるところから。これは、最上が仕組んだもので、おそらく新任の沖野の力量を見極めるか、あるいは新人教育の一環として、諏訪部に沖野をからかうように頼んだものなのだろう。沖野はそれに合格して最上のメガネにかなったということだし、諏訪部は自ら最上のポチだと自嘲してる。
 諏訪部の恐さは、ただの忠犬ポチではなく、最上をどんどん罪人の道へと誘いこんでいること。メフィストフェレスを連想させるけど、その飄々とした風貌などは、もはや『生きる』(1952年)のメフィストフェレスの伊藤雄之助だな。

 さて、何故、諏訪部は最上のポチとなり、最上は丹野を助けるのか?
 最上と丹野との間には同性愛的な要素が隠されてるが、三人に共通するものとしてインパール作戦が何度も語られる。
 これは、日本軍がインドに攻め込んで失敗した作戦で、撤退するときに多くの将兵が飢えや病で倒れ、その遺体が白骨化して街道の両側に延々と連なっていたというもの。なお、日本軍が戦った相手は、インド兵はいたものの、多くはイギリス兵だからね。日本はアジアの国を侵略したという前に、何でインドにイギリス兵がいたのか、よく調べてからにしてね。

 この映画では、インパールという言葉が何度も登場し、その1シーンが描かれるものの、どうも本筋と噛み合わない。おそらく原作を読めばもう少しすっきりするのだろうけど、この映画では完全に消化不良なネタになっていた。
 なので、諏訪部の立ち位置に違和感を感じる観客は多いんじゃないかな。

● ファン
 映像上の特徴は、カットのつなぎをものすごく詰めてること。いまどきの流行に合わせてるけど、切り替えの呼吸が悪く、編集は下手糞という印象だ。

 木村拓哉、二宮和也、吉高由里子そして松重豊のファン向けだな。


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