きれいごとで言論弾圧

きれいごとで言論弾圧

 ここ数日のうちに、他人の発言を取り上げて、それに対して言論としての反対意見を言うのではなく、そもそも発言するな、黙れといった論調の事案が続いてます。

【3人産んで】
 一つは桜田議員の「3人産んでほしい」発言。
 これが特定の人間等に対する命令・強制あるいは圧力やいやがらせ(ハラスメント)であれば大問題ですが、お願いであればさほど問題とすることではありません。3人を子供を生むのが嫌な人は、「嫌だ」と言えばいいだけです。

 それより重要なのは、そもそもがこの発言での「3人産む」というのは、社会的な仕組みを考える上での目標のようなもの。例えば、両親と子供二人の家計を現代及び近未来の日本社会の標準的な姿と想定して社会の法的整備をするなどよくある話です。こうした想定抜きに、例えば所得税の扶養控除等の議論はできません。
 こんなこと、社会の仕組みを考える時の常識のようなもの。そのとき、子供2人と言えばOKで、子供3人を社会の目標として発言するのは絶対に許されないとするなど、まったく理由のないことです。

 ましてやマタニティハラスメントにこじつけるなど論理破綻です。(野党の議員で、この法律が成立直前なのに認識が低いなどという人がいましたが、この法律は、妊娠 した 人への職場での不利益等を禁じるのが趣旨。子供を産みやすい社会的な環境を整えようという法律なわけで、桜田議員の社会的に子供3人を目標にしようという発言は、この法律とも矛盾しません。)
 そもそも日本国憲法は「われらとわれらの子孫のため」のものであって、「子孫のため」になる発言は日本国憲法の趣旨に沿うものですし、『子供をたくさん産むのは「子孫のため」になる』という意見は、反論もあるでしょうが、発言を禁じるような内容ではありません。
 日本国憲法をちゃんと読んで。

【一人で死んで】
 もう一つは登戸での事件に関する立川志らくの「死ぬなら一人で死んでくれ」発言へのバッシング。
 特定の生きてる人間に向かって「死ね」とか「死んでくれ」というのは大問題ですが、現実に何人もの人間を殺し、ほぼ同時に自殺したという事実があって、「自殺するなら他人を殺さないでくれ」という趣旨であれば、当然の発言です。
 うんざりするのがバッシングする側の言い草。例えば――

1 多くの意見では、事件の動機や背景として引きこもりが最重要と断定してますが、実は、他人を殺したために自殺したのか、自殺しようとして他人を巻き添えにしたのか、そこすらはっきりしないので、動機や事件の背景について、あまり断定的なことを言うべきではありません。(*1)

2 心に病を持つ人の中には、立川氏の発言を聞いただけで、新たな事件を起こす者がいるかもしれないとのこと。
 しかし、この程度の発言で新たな事件を起こすような人間を社会に放置してよいのか、そこは根本的な大問題だと思います。
 しかも、そもそも「自分たちの気に障ることを言うと、 誰か が犯罪起こしちゃうよ」という強迫にも聞こえます。これって、ほぼヤクザの脅しのセリフですよね(*2)。遠回しに脅して「黙ってろ」と言ってるようなもの。

 どれも、言葉の上では「きれいごと」を言ってるのですが、こじつけや婉曲な脅しで人の口を封じようとするものばかり。
 最近の、他人の発言に対する「黙れ」という態度は、とんでもない言論弾圧でしかありません。

(*1) 僕は、事件直後にニュース映像を見たとき、バスの表示が「カリタス学園」となっているのが気になりました。ここはキリスト教系のはず。そこで、最近の海外の事例から、まずは宗教的な背景を伴うテロの可能性が思い浮かんだからです。
 現時点となって、この可能性はものすごく低いと思ってます。

(*2) (俺は手を出さない。だけど)「駅のホームは気をつけてね」とか、「闇夜の一人歩きは気をつけてね」と言うのに似てます。言葉の上っ面は相手を思いやるような「きれいごと」ですが、実は脅してることは明白。

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